そんな過酷なアトピーとの闘いの日々を送りながらも、ステロイドのリバウンドで苦しむ自分の辛さを、この子にだけは絶対、あじあわせてはなるものかと、ステロイドの使用だけは断り続けたいという思いと、病院に行けば即ステロイドを塗りたくられるのではという医師に対する不信と恐怖から、なかなか病院に行くことはできませんでした。それでも泣叫ぶわが子の姿に耐えかねて病院に駆け込んだ時には、時すでに遅し…。
低タンパク症、重度の食べ物アレルギー、重症アトピー性皮膚炎で即入院。原因が自分の母乳であったことも、その時判りました。薬だけは使いたくないという、自分の思い込みで、陽をここまで追い込み、酷くさせてしまったことを悔やみました。
入院してしばらくすると、一番恐れていた感染症に、それも病院の病室の中で感染してしまいました。か細い腕に沢山の点滴をくり返され、透明なビニールの酸素吸入のテントの中で、息も絶え絶えに青白くグッタリした陽の姿は、見るに忍びない堪え難いもので、胸が引きちぎられ、涙も涸れる程悲しい光景でした。
そして、意識のない状態が2日程続きました。「体液の流出を防がないと死んでしまいます。どうしても最小限の量のステロイドを軽く塗り、抗生剤を打つしか救う方法はありません」と先生はおっしゃいました。「どんなことがこの子に、これから、起こったとしても命にはかえられない!!」神にもすがる気持ちで治療をお願いしました。
抗生剤の為に髪は抜け落ち顔や手足はジュクジュクとし1日2回のイソジン消毒は欠かせませんでした。それでも奇跡的に命だけはとりとめ、このあと2度の感染症に罹ったものの入院から3ヶ月後、無事退院することができました。
離乳食は、医師の指導により、通常より遅く、6ヶ月半位から始めました。
米、卵、牛乳、大豆、小麦、肉にアレルギーがあった為、身近なモノが殆ど食べさせられず、実家の母に頼んで無農薬の野菜と果物、アレルギー米を取り寄せてもらい、味付け無しで、裏ごししたものをひと匙づつ、毎回祈るような気持ちで食べさせていました。
身体も小さく、寝返りも、はいはいも、標準より2ヶ月も遅れとても心配しましたが10ヶ月に入ってからは、お米も完全に食べるようになり、成長も標準に近付いてきて、ホッとしたのを覚えています。今では、豚肉、大豆製品も少しづつですが大丈夫になりました。何よりも救われ、助かったのは、陽自身が好き嫌いなく、吃驚するくらい食べてくれることでした。他の子たちはグラタンやハンバーグ、ヨーグルトなど、いろいろな美味しそうなモノが食べられるのに、陽は、自然の塩で茹でただけの野菜や焼き魚、カボチャ煮など、ひと昔前のような、粗末な感じの食生活です。でも素材の味、季節の味を楽しみ、かえって丈夫な身体になったように思います。これが本当の贅沢かも知れません。それが証拠に家計は火の車!
おかげさまで1歳を過ぎたころから肌もツルツルになり退院してからもステロイドを使用することも有りません。(今の悩みは、母親の私のほうが未だに酷いことです)
アレルギーだからと悲観することは有りません。生きていること自体が素晴らしいことなのだから必ず治ると信じて毎日を「明るく暮らす」ことが大切なような気がします。どんなに成長が遅れようと、いつかは遅れを取り戻せるんだから大丈夫!!!
ゆったりと大きな心で、頑張り過ぎないこと!これが大切なことだと言うことを陽の育児で教えられました。
すきさえ有れば悪戯ばかりして、少しも目がはなせない気の許せない腕白なガキ大将になりそうな予感がして、少し心配なくらいの毎日ですが、何よりも生きようと頑張っている小さな姿に感動の日々です。
そして最も大事なことは、自分一人で頑張り過ぎないで、周りの方々のお力添えを感謝し、時には、周りの方々の力を素直にお借りすることが大切なことだと感じております。 |